札幌芸術の森野外美術館に展示されているのは《男と女》《木の枝をすべりぬける少女》《母と子》《腰に手をあてて立つ男》《トライアングル》の5作品です。これらがいつどのような経緯でヴィ―ゲラン彫刻が札幌に来ることになったのか。佐藤友哉・札幌芸術の森美術館長に『グスタフ・ヴィ―ゲランと札幌』を寄稿いただきました。
『グスタフ・ヴィ―ゲランと札幌』(佐藤友哉・札幌芸術の森美術館長)
- 札幌にヴィ―ゲランがやってきた
- ヴィ―ゲラン広場の作品たち
- 未来へつなぐヴィ―ゲラン
ノルウェーを代表する近代彫刻の巨匠、グスタフ・ヴィーゲラン(1869~1943)。生涯にわたって約1,600点もの作品を生み出した彫刻家です。とくにノルウェーの人なら、おそらくほとんどが、オスロ市にあるフログネル公園内の壮大なヴィーゲラン公園を知っているでしょう。これは全長850メートルにも及ぶ公園で、人生のさまざまな姿をかたどった彫刻が200体も置かれており、その中心部にはモノリッテンという人体が刻まれた高さ20メートルの柱がそびえ立つ壮大な公園です。この公園を生涯かけて完成させたのがヴィーゲランなのです。
ノルウェーの芸術家といえば、画家のエドヴァルド・ムンク(1863~1944)を思い出す人が多いと思います。じつはヴィーゲランはムンクと同時代の芸術家。ムンクより3歳年下で、ムンクより1年先に74歳で亡くなっています。まさに同時代に活躍した彫刻家です。しかしムンクに比べて日本ではそれほどヴィーゲランは知られていないかもしれません。それはヴィーゲランの作品が、オスロ市との契約によって国外で展示することを厳しく規制されており、そのことが一因だったのです。
しかし、日本の札幌市になんとそのヴィーゲランの作品が5体も野外に設置されているのです。場所は札幌市の南、札幌芸術の森にある野外美術館。門外不出のはずだったヴィーゲランの彫刻ですが、一体どのようにしてそれが札幌に招来されることになったのでしょうか。
札幌芸術の森は1986年に開園した創造都市札幌を推進する総合的な文化施設です。野外美術館のほかに札幌芸術の森美術館があり、また工芸や版画の工房、コンサートなどをおこなうアートホールや野外ステージも併設しています。とくに野外美術館は7.5ヘクタールの起伏に富んだ豊かな自然環境のなかに、国内外の彫刻家の作品、64作家74点が展示されています。そしてそのほぼ中央にヴィーゲラン広場が設けられ、ここにヴィーゲランの5点の彫刻が置かれているのです。
野外美術館の作品選定にあたっては、札幌市の札幌芸術の森作品選定委員会においておこなわれました。その最初の委員会で、札幌市とおなじ北方圏の都市であるオスロ市のヴィーゲラン公園が引き合いに出され、ヴィーゲラン作品の収蔵について提案されたのです。その口火を切ったのは当時の匠秀夫委員長でした。1985年6月のことです。
匠委員長は当時、神奈川県立近代美術館の館長を務めていました。札幌ゆかりの人で、新たな彫刻公園の構想に専門部会の委員として早くからかかわっており、以前から北国の自然のなかに造成されたヴィーゲラン公園に関心を持っていたのです。また、札幌市では世界の北国の市長による「世界冬の都市市長会」を設けて国際会議を開催しており、北方圏の都市交流を推進しているさなかでもありました。こうした背景のなかで、ヴィーゲランの作品を収蔵する可能性が探られていたのです。
作品選定委員会では、北欧を代表するヴィーゲランの作品が展示されれば日本初の試みになり、特色ある野外彫刻公園になること、また北方圏の都市との文化交流を促進すること、そしてなによりヴィーゲランの彫刻が北欧のたくましさを表現していること、などの意見が出て、野外美術館の収蔵候補作家とすることが決定されたのでした。
もちろん札幌市はこの試みが簡単に遂行されると考えてはいませんでした。これを受けて、匠委員長は早急にオスロ市のヴィーゲラン美術館を訪問し、協力要請を行います。交渉は進展の兆しがいくらか見えることもありましたが、やはりヴィーゲランとオスロ市が1921年に交わした契約が立ちはだかります。「保存の目的以外の新しい鋳造の禁止」に抵触するので、趣旨に沿うことは困難である、というオスロ市側の判断が示されたのです。しかしそれに対してさらに札幌市はオスロ市に対して再考を要望します。そしてその結果、北方都市間の友好に資するということで、条件付きでヴィーゲラン作品の提供が了承されることになりました。
条件とは、鋳造などにかかるすべての経費は札幌市で負担すること、作品は新たに選定し、展示借用期間は25年とする、などというものでした。その後、ヴィーゲラン美術館から33点の候補作品の写真が送られてきました。そのなかから5点を選定。選定委員のみならず、当時の板垣武四札幌市長も選定にたずさわり、展示予定作品が決定されたのでした。《男と女》《木の枝をすべりぬける少女》《トライアングル》《腰に手をあてて立つ男》《母と子》の5点です。
札幌市とオスロ市の間で『グスタフ・ヴィーゲランの彫刻作品に関する契約』が締結されたのは1987年7月。2年越しの交渉の成果でした。その後、板垣札幌市長はオスロ市を訪問。当時のアルベルト・ノーレンゲン市長や、ヴィーゲラン美術館のウィック・ボルグ館長を表敬し、オスロ市の大英断に謝意を伝えました。
石膏の原型からブロンズに鋳造された後、作品は2回に分けて日本に輸送されました。1988年4月に《母と子》、《腰に手をあてて立つ男》、《トライアングル》が到着し、野外美術館に設置。駐日ノルウェー王国大使を招待して除幕式がおこなわれました。残りの《男と女》と《木の枝をすべりぬける少女》の2体が到着したのはその1年後で、やっと全作品がヴィーゲラン広場に集結します。オスロ市長夫妻、ヴィーゲラン美術館長を招いて除幕式が行われたのは1989年4月29日のことでした。すでに野外美術館は第一期の一部をオープンしていましたが、この時やっと「ヴィーゲランを札幌に」という札幌市や多くの関係者の夢が叶ったのでした。
ヴィーゲランの彫刻5点が設置されているのは、札幌芸術の森にある野外美術館のヴィーゲラン広場です。野外美術館のエントランスを入り、いくつかの彫刻作品を見ながら左右いずれかの遊歩道を登っていくと、樹木に囲まれた小高い丘陵の広場に行きつきます。ここにヴィーゲランの作品が展示されています。
ヴィーゲラン広場は作品が設置される前から構想されていたものでした。野外美術館にはヴィーゲランを含めて国内外の64作家、74点もの作品が設置されています。したがってヴィーゲランの作品がこれらの現代彫刻と混在してしまわないように、特定の場所をゾーン化して展示することが考慮されたのです。それによって、それぞれの作品は広場のなかにゆったりと展示され、ヴィ―ゲランの世界をよく鑑賞できるようになったのです。
ヴィーゲラン広場の作品を具体的に見てみましょう。オスロのヴィーゲラン公園には約200体もの彫刻があります。もちろんそれに比べるとごくごくわずかな点数です。しかし、札幌市長と選定委員会が選んだ5点の作品は、ヴィーゲランの初期から晩年までの作風の変化やその特徴、またヴィーゲランが生涯にわたって取り組んだテーマなど、おおよそを網羅したものと言ってよいかもしれません。
《男と女》と《木の枝をすべりぬける少女》はいずれも初期の作品。制作されたのは前者が1908年。後者がその1年前の1907年で、いずれもヴィーゲラン30歳代の終わりのころの作品です。ヴィーゲランはそれ以前にパリに出て、ロダンの影響を強く受けていました。《男と女》はその影響をよく示すものと言ってよいでしょう。その後、男と女をテーマとした作品が数多く生み出されますが、これはその代表作と言えるものです。
女の前にひざまずき身を強く寄せる男。それを両手で制しながらじっと男を見つめる女。男女の愛の姿、あるいはその葛藤の姿でしょうか。まさにそれがドラマティックに表現されています。緊張感が漂う人体の動き、そして抑制された肉づけ。それによって男女の愛の姿が厳しさと激しさのなかにとらえられています。ロダンに学びながらも、ここにヴィーゲランならではの個性が発揮されているようです。
《木の枝をすべりぬける少女》が制作された年、つまり1907年前後、ヴィーゲランは当時クリスチャニアと呼ばれていたオスロ市に噴水を制作する構想を練っていました。大きな水盤を6人の男が支え、その周囲に木と人物を組み合わせた20体の彫刻を配置するというプランでした。この模型が一般に公開されると、大きな反響があり、ヴィーゲランはそれを契機に制作を開始。その一点が《木の枝をすべりぬける少女》です。
20体の木と人物を組み合わせた作品は、木のなかに人生それぞれの段階の人物が配されています。この作品には少女が登場し、樹木の間をすべりぬけるような動的な姿でとらえられているのが特色です。ここでは人物は写実的にとらえられてはいますが、それを超えた象徴的な世界が示されているようです。成熟に向かう少女の不安や心の震えとでも言うべき内的世界の表現でしょうか。
《母と子》と《腰に手をあてて立つ男》は、いずれも1926年から33年にかけて制作された作品。ヴィーゲランが50歳の終わりから60歳はじめにかけて制作されました。これらはもともとヴィーゲラン公園の池に架かる橋の欄干に設置された作品です。ここには58体の等身大の人物が、静と動のポーズを交互に繰り返して配置されています。《母と子》は子どもを大きく掲げて走る母の姿。《腰に手をあてて立つ男》は静かにたたずむ男の姿です。この2点の作品はそれぞれ動的なポーズと静的なポーズを代表し、みごとにその対比を生み出しているでしょう。
また、これらの人物には初期にはない表現の特色もうかがえます。人体が単純化されたおおらかなマッスのなかにとらえられているのです。たたずむ男も子を抱く母も、それによって豊かな生命が生み出されているのです。とくに髪をなびかせ、子どもを高く抱きあげる母親の姿は、生きる喜びと生命の尊さを伝えているでしょう。それに対して腰に手をあてて立つ男の姿は、大地を踏みしめる力強い生命の姿を示しているようです。
《トライアングル》は1939年、ヴィーゲランが70歳になって手がけた晩年の作品。男女三人を三角形に組み合わせた作品です。もともとはヴィーゲラン公園の大きな鉄製の門に取り付ける予定だったようですが、実現しませんでした。しかしヴィーゲラン公園には、子どもと大人7体を円環状に組み合わせた《生命の環》という作品があって、《トライアングル》と同様の構想によってできたことをうかがわせます。つまり、いずれも生と死を永遠に繰り返す人間の生命の循環を示す作品だということです。ヴィーゲランは、人体を円や三角形という幾何学的な形態に構成することでそれを象徴しようとしたのです。
ヴィーゲランは生涯をかけて、生まれ、生きて愛し、そして死んでいく人間のさまざまな姿を形象化しました。そのなかで見据えたのは、生命の永遠の循環ということであり、個を超えて連鎖する生命を賛歌することだったと言ってよいでしょう。これこそがヴィーゲランが生涯をかけて追求したテーマなのです。
札幌の《トライアングル》はヴィーゲラン広場のやや小高い場所に設置されています。つまり、ほかの作品よりも高い特別な場所に置かれているのです。それはまさにこの作品が、連鎖する生命への賛歌、というヴィーゲランの重要なメッセージを伝えているからにほかなりません。
ヴィーゲランの作品が札幌にやってきてすでに30年以上の月日が過ぎています。その間、1995年には、札幌芸術の森美術館をはじめ、全国を巡回する「ヴィーゲラン展~生と愛と死と」が開催されました。彫刻と版画90点ほどを紹介するもので、知られざるノルウェーの彫刻家の世界が初めて大規模に日本で紹介されたのです。もちろん国外への貸し出しが制限されているなかで、オスロ市やヴィーゲラン美術館の特別の配慮によるものでした。
また、その後、札幌市とオスロ市との間で交わされた25年という作品の借用期間の契約も期限を迎えました。幸いなことに契約は2012年に更新され、さらに25年の借用が決まりました。そしてヴィーゲランの作品は、引き続き札幌芸術の森の野外美術館の特色ある作品として多くの来館者に親しまれ続けています。近年では野外美術館の入園者も年間6万人を超えるなど、札幌市民のみならず、札幌を訪れる人々に札幌市の観光名所として自然と彫刻の調和した世界を楽しんでもらっています。
約30年という時間の推移のなかで、ヴィーゲラン作品を取り巻く環境も変化してきました。まずヴィーゲラン広場の樹木の成長。当時はまだ背丈の低かった樹木もかなり繁茂して、作品を森の中にすっぽりと包んでいるかのようです。《母と子》などは、背景に空が大きく見えていたのですが、近年では樹木がそれを覆い隠すまでになっています。オスロ市のヴィーゲラン公園も自然豊かな環境のなかに造成された公園ですが、札幌のヴィーゲラン広場もその雰囲気をよりよく伝えるものになってきた、と言えるかもしれません。
環境の変化ということで言えば、2008年、ヴィーゲラン広場の丘陵のふもとに子どものためのアトリエができたこともあげられるでしょう。札幌ゆかりの日本を代表する彫刻家、佐藤忠良を記念したアトリエなのですが、ここでは子どもたちが彫刻を鑑賞したり、さまざまな造形のワークショップを行ったりしています。また同年の2008年からは、これと並行するかたちで「ハロー!ミュージアム」という子どものための鑑賞体験事業が始まりました。札幌市内の小学生5年生すべてを野外美術館や芸術の森美術館などに招待する事業です。
札幌市内にはおよそ200校の小学校があり、5年生の児童数はおよそ15,000人を数えます。近年ではほぼすべての小学校が参加。子どもアトリエでワークショップを体験するコースのほか、美術館の展覧会や野外美術館の彫刻を鑑賞するコースもあります。これらの鑑賞コースでは、芸術の森美術館に所属するボランティアの協力員が同行して、子どもたちと対話しながら鑑賞体験を深めています。もちろんヴィーゲラン広場にもおおぜいの子どもたちがやってきて、ノルウェーの彫刻家の作品を熱心に鑑賞しています。
子どもたちに人気のヴィーゲランの作品は《母と子》のようです。この作品は一般の来館者にも人気が高いのですが、やはり年代を問わず、母と子の絆を表現した作品には共感が寄せられるのでしょう。ボランティアの協力員の方から聞いた話では、「お母さんの苦労がよくわかる」といった感想を漏らした子どももいたと言います。
ともあれ、近年ヴィーゲランの作品は多くの子どもたちの眼にふれるようになりました。もちろん今後も「ハロー!ミュージアム」が続く限り、札幌の子どもたちは必ずヴィーゲランと出会い、そこにさまざまな対話が生まれ、その作品が子どもたちの記憶に刻まれていくことでしょう。
札幌芸術の森の子どもたちに対する事業は「ハロー!ミュージアム」だけではありません。前に紹介したように、札幌芸術の森にはアートホールや野外ステージがあって、音楽についてもさまざまな事業を行っています。その一つに2000年から始まった「札幌ジュニアジャズスクール」があります。これは札幌の小中学生を対象にして行われるもので、毎年オーディションによって選考された子どもたちがビッグ・バンドを組み、札幌市の内外で演奏活動をくり広げるというユニークな事業です。
このジュニアジャズスクールは、ときに海外へも遠征し、各地のジャズスクールと交流するなど国際的な活動も行っています。2012年にはノルウェーに遠征。地元のジャズスクールと交流し、さらにオスロ・ジャズフェスティヴァルにも参加しました。じつはこの時、ヴィーゲラン作品の借用期間の延長の申し入れも行われたのでした。札幌市長の親書が札幌市芸術文化財団の副理事長からオスロ市長に手渡された時に、ジュニアジャズスクールのメンバーはその場に立ち会い、国際親善大使としての役割も果たしたのです。先に述べたように、契約は無事更新されました。一方、このことはヴィーゲランの作品がジャズによる交流の環を新たに生み出した、ということでもあるでしょう。
さて、札幌のヴィーゲランの作品に変わりはないとはいえ、いくらか保存上の問題も生じてきています。《トライアングル》の人体と台座をピンポイントで溶接した部分に亀裂が入ってしまったのです。作品が倒れてしまう危険もあったため、すぐにヴィーゲラン美術館と連絡を取り、修復を施しました。もちろんこのほか野外美術館全体を見渡せば、整備しなければならないことも出てきてはいます。つまり野外美術館は新たな再編の時期に差しかかっていると言ってよいのです。
しかし、ヴィーゲランの作品はこれからも変わりなく、札幌の人と街を、また野外美術館を訪れる多くの人々を見守り続けてほしいと思います。とくに子どもたちを通じて、ヴィーゲランが訴えた永遠に循環する生命の尊さを未来へつなげてほしいと思うのです。次回の借用契約の更新年は2037年。この時、ヴィーゲランの作品に感銘を受けた子どもたちは、次の世代、あるいはその次の世代の子どもたちを育てているにちがいありません。
<完>
プロフィール:
佐藤友哉(さとう・ともよし)札幌芸術の森美術館長
1952年、北海道釧路市生まれ。北海道教育大学卒業。
1977年に北海道立近代美術館に学芸員として勤務。その後、北海道立旭川美術館学芸課長、北海道立近代美術館学芸第一課長、同館学芸部長、同館学芸副館長を歴任。
2012年から現職。現代美術、博物館学を専門とし、これまで数多くの展覧会や美術館教育活動を企画、実施。『北海道の現代美術』、『木田金次郎』、『北岡文雄』などの著書がある。
AICA国際美術評論家連盟会員。また全国美術館会議や美術館連絡協議会の理事も務める。